2016年6月16日木曜日

休止ではなく引退!!!

(これは本当は2016年6月16日の記事なのですが、このブログが一向に更新されない理由が一番上にあった方が単純にわかりやすくていいのではないかという思いに至り、未来日記に変えました)




特化11で御破算・万有・七代の神罰・鎌鼬の術・天翼召喚など多くの全体攻撃が導入されましたが、残念ながら筆者は、この傾向に全く賛同出来ませんでした。

そして、導入からなかなかの時間が経過しましたが、何だか未だにこれらを受け入れることはできないため、とりあえず信Onを引退することにしました。

例えば激情目的で能楽がもてはやされるという状況も、何かがものすごく間違っているような気がしますし、他にも困った部分は言うまでもなく様々あるわけですが、この横削りゲーム化傾向は、それらの話題とは一線を画したい気がします。「敵を基本的には1体ずつ倒していく」という部分を変えてしまうのは、良い悪いということではなく、個人的には信Onを別のゲームにしてしまうという変更だとさえ思っています。上覧という「旗を最初に当てた方が勝ちのゲーム」が一番好きなコンテンツだった人間にとって、このゲームを横削りゲーム化していく方針は、理解ができません。上覧が「旗なんか関係無い、全員同時に殺せばいいのだ」でも本当に面白いのでしょうか?

名前だけは「信長の野望Online」のままですが、中身は別物になったという印象です。筆者にとってはどう見ても違うゲームなので、これもやるかどうかを考えた結果、この信Onはやらないことにしただけです。

よって、都はるみ的な復活の可能性は完全に否定出来ませんが、もしそれがあるとすれば、それは、また別の信Onにゲームが変化したときなのかもしれません。信Onの中のPvP要素として一番面白いのは実は今は家臣上覧なのかもしれませんが、報酬が世界ゲーム史上最低のクソですし、家臣上覧が開催されていないときは家臣上覧ルールで家臣徒党の戦闘ができないという絶望的な環境なので、それ目的で信Onを続けるというのはさすがにナンセンスです。いまや、ヨソで無課金でかなり暇が潰せますしねえ。





前の記事で「とにかく次シーズンも伊賀で頑張ることに決めました」などと書きましたが、筆者が引退するまでの間に、そもそも次シーズン自体が始まりませんでしたので、頑張ることはできないということになりました。

前記事といえば、そこには「次シーズンが始まったらブログを再開するかどうかはまだ決めていません」とも書いていました。悲しいことに、その記事に対する「再開してほしい」という旨のコメントはゼロでしたが、実は、ゲームの中の対話で、再開を待っている主旨のお言葉を2度いただいたことがありました。しかしゲームを辞めてしまうとこのブログに書くことも基本的に無いはずですから、当然ブログ再開もないでしょう。従いまして、ただただその2人の方にだけは、大変申し訳なく思っております。ご期待に沿えなくてすみません。書く内容がないのです。





無名ブログゆえに、ブログを続けられないということで謝罪すべき方は2名だけですが、ゲームを続けられないということでご挨拶すべき方々は当然もっとたくさんおります。

中でも、

一門「はこにわ」の某様。度重なるわたしの休止の際にたった1人で一門を消滅の危機から守っていただきありがとうございました。たった1人だけで徳川の某有名一門を相手に四天王貢献1位を獲得した逸話は、誇張抜きで伝説に値します。

何回か前の上覧の後1週間ぐらい休息のためインしなかった間にそれまで参加していた私設会話の中身がすっかり誰もいなくなってしまって孤独極まって途方に暮れていた筆者を拾ってくれた某様と、某様に入れていただいた私設の中の方々。ゲームが下手で笑いのツボがおかしいわたしを仲間に入れていただき、まことにありがとうございました。かなわぬ夢であるはずの上覧報酬の皿を手に入れることができたのは皆様のおかげです。お陰で思い残すことなく引退出来ることになりました。激怒のポイントは違うかもしれませんが、いずれにせよ今の運営を思うとボイコットや引退をしたくなる人間の気持ちだけは理解していただけるはずと勝手に思っております。



というわけで、挨拶すべき方々の中で、今現在ゲームを続けている方となりますとこの上記の方々となります。他の近しい知人は全員筆者より先に引退してしまいました。ただし、知人友人と呼んでしまうのは厚かましいのかもしれませんが、「しょうもないイベント」シリーズに参加していただいた方々も、わたくしは一方的に知人と勝手に思っております。貴重な時間をくだらない遊びにつきあっていただきありがとうございました。なお、もののふの日を利用して「PV○万人突破記念イベント」をやろうかなという気持ちが少しだけあります(やらないかもしれないけど)。それで、残っている貫をバラマキしてから完全に引退しようと思います。イベントの告知はここでやりますので、どうぞ貫を持って帰って下さい。

また、筆者は結構野良メインで遊んでおりましたので、野良徒党でご一緒した方もたくさんおります。皆様ありがとうございました。何人かファンの方がおりましたが、ついにこの恋心(?)は告げず終いでございました。今パッと思い出せるところでいうと、一時期攻城戦を募集するとなぜかいつも助けてくれた色々な職をお持ちの方と、週刊秀吉D5体を募集するとよく参加してくれた武士の方は、ファンでした。





さすがにここまでテキトウなことをやっているとみんな辞めるぞということを運営に教えてやらないといけないと思うので筆者は辞めますが、続けておられる方々のために、とりあえず、ものすごーく上覧関係(対戦バランス・報酬・その他いろいろの面で)にテコ入れが入ることをお祈りいいたしております。








さようなら。

2016年6月9日木曜日

また会う日までごきげんよう

残念ながら本シーズンの伊賀忍は滅亡してしまいました。







これには気力が失せてしまいました。

ということで当ブログの更新も本シーズンは終了となります。

武田家によって当ブログも殺されてしまったということになりました。





筆者は、次のシーズンがいつからなのかさえわかりませんが、

とにかく次シーズンも伊賀で頑張ることに決めました。

伊賀のみなさんよろしくお願いいたします。

来期はもっと人が増えると嬉しいです。










勝手に盗んで自分のブログに貼ってもいいんだよ。










次シーズンが始まったらブログを再開するかどうかはまだ決めていません

とりあえず、

今までこんなクソしょーもないブログを我慢してご覧頂いていた皆様には感謝申し上げます。











(追)

ブログを休止してみたところ、思いのほかモチベーションが下がって自分でもびっくりしました。

「わたしはブログを書くために信Onをやっていたのか!」ということがわかりました。

ただし、

ゲーム的にはただ自国の合戦がなくなって俸禄が安くなったぐらいにもかかわらず、

それによってなぜか、やる気が大幅に無くなりましたので、

事態は逆で、

モチベーションが下がったからブログを書かなくなった、という方が正しいのかもしれません。

自分でも、どっちが先なのかわからなくなりました。

それにしても、

復興戦を廃止して金魚の糞システムを採用したのは、クソつまらん変更でしたねえ。

だって、どうせ天下分け目まで多分統一なんて起きませんもの。

それなら、滅亡した側からすれば、復興戦があった方が、遊べる気がします。

遊ばせて下さいよ!

勝った側の領土ポイントなんて、いつまた無くなるかわからんぐらいでいいんですよ。

だって、人口が少ない国を潰した国が大安泰すると世にバレたら、

来季の伊賀はもっと早く滅亡するかもしれませんよ。

奪い合いの対象になるかもしれません。

そうしたら、下手すると開幕直後からずーっと滅亡状態ですよ。

これでは、勢力に所属している意味が全くわからなくなります。

不本意ながら人が多い国に移籍するか、すぐ滅亡すると知りつつ小国にいるか、の二択ですか。

何なんですかこのゲームは!

まあ筆者は来季も伊賀ですが、

来シーズンの途中で伊賀がまた滅亡したら、モチベ的にはかなりヤバイです。

引退するかもしれません。

そもそも、いまも週一ぐらいしかインしていませんが(とっくにヤバイ)。





それでは、また会う日までごきげんよう、さようなら(とは言っても、いまのところはまだゲーム休止ではない)。













(追々)

課金停止中。やる時間がない。

2016年6月8日水曜日

個人的に懐かしい、どうでもいい内容の文章に、日の目を当ててみた

以前書いた、どうでもいい文章が2つも発掘されたのでここにテキトウに貼っておこう。

始めに書いてしまうと、の方は「古神典」という語はどういう意味だ?という内容で、の方は傾奇3特化は3つともすべてかぶき者と関係無いのでは?という内容である。どちらも、特にどうでもいい話題だ。どうやら書いた当時、暇だったらしい。

1は敬体、2は常体で書かれていて、文体さえ不統一だが、それぞれ別のときに書いたものをここで並べただけなのでお許しあれ。









「古神典」という語をgoogleやyahooで検索してみますと、上位では信On関係のサイトしかヒットしません。ところが、「神道」「古神道」「神典」の語はそんなことはありません。これはいったいなぜなのでしょう。

 ここで、一つ一つの語の一般的な意味を確認していきましょう。まず「神道」は「しんとう」と読みまして、古代日本に起源を辿ることができるとされる宗教のことです。仏教やキリスト教のような外国から輸入されたものとは別に日本発祥の宗教があって、それが「神道」(これ以外にも「国産」の宗教はあるかもしれないけど)なわけですね。古来より日本では仏教と神道が曖昧に混ざってしまった部分が無くもないのですが、それについてはここでは触れないでおきます。そして次に「神典」という語ですが、これはその「神道」の信仰の規範と一般的に考えられている『古事記』や『日本書紀』といった文献の総称なのです。たとえば仏教における経典、キリスト教における聖書、イスラム教におけるコーランのように1つの「コレ!」という正典に当たるものは神道においては無いとされており、ただし信仰の規範を求めうる文献ならば複数存在していて、それらを総称して「神典」と呼んでいる、ということなのです。まとめますと「神道」は宗教名、「神典」はいくつかの文献の総称ということになります。

 さて「神道」ですが、こちらも実は総称的な言葉でして、さらに分類することができます。神社神道・民俗神道・皇室神道などなど(他にも色々)に分類されるようですが、なんと実は「古神道」というのも、その分類の1つに挙がるのであります。つまり「古神道」というのは「神道」の種類の1つなんですね。ゲームの中では神職という職業の中に「神道」と「古神道」が特化として並列的に存在しますが、現実世界におけるもともとの意味的には、「神道」の中の1つとして「古神道」があるというわけです。ちなみに読み方はこちらも「こしんとう」です

 この「古神道」という語の意味は、実は大きく言うと2つあります。そして、そのうちの1つは、「幕末から明治にかけて成立した神道系新宗教運動」ということになります。ところが、信Onというゲームが扱っている時代というものを振り返ってみさえすれば、コーエーが、江戸~明治時代にかけて起きた運動を由来として「古神道」という特化を作った、とはおそらく考えにくいはずです。かくして、われわれは、もう1つの意味の方に注目をせざるをえないということになります。そして、もう1つの「古神道」という語の意味は「日本において外来宗教の影響を受ける以前に存在していた宗教」ということになるのであります。信Onの「古神道」は、おそらくここから来ているのでしょう。

 さてここで「古神道」なる語をそういう原始神道的な意味でとらえますと、その信仰の規範となるような文献などあるのだろうかという思いに行き当たります。つまり、「古神典」と呼ぶべき文献などあるのだろうかということです。そもそもある時代までは文献どころか文字すら無いでしょうから、当然そういう太古の時代には何もないはずだと推測されます。そして、もう少しだけ時代が下がったところでそういう類いの文献がもしあるとすれば、おそらくその具体的な書物名は、実際のところ「神道」の中身と重なる物以外はないのではないでしょうか。そもそも、少なくとも筆者が色々と見渡した範囲においては、信On絡みでないところに「古神典」なる語は全く見当たりません。おそらくそのような言葉は、一般的な用語としては存在しないのではないでしょうか。つまり「古神典」というのはコーエーの造語なのかもしれないということです。そして、言葉自体は世に間違いなく存在している「神典」という語の方でさえ、ゲームの中では、一般的な「神典」という語の意味(=『古事記』や『日本書紀』など)とは別の意味で使われているような気がします。

 信Onにおける雅楽以外の神職の特化名の正式名称はおそらく「道」という字が入る神道と古神道の方です。そしてそれらの特化選択者が、それぞれの特化技能を体得するために読む文献、つまり特化目録の名称がそれぞれ神典と古神典なのではないでしょうか。少なくとも筆者は、そう理解しております。


もともとの意味 まとめ

神道・・・宗教
古神道・・・宗教
神典・・・ある文献の総称
古神典・・・コーエーの造語か
雅楽・・・音楽










 「かぶき者」という職業に、演舞や殺陣や能楽などといった特化があるという事実は、言葉の純粋な意味で単純に意味不明である。かぶき者は踊り手でもなければ役者でもない。かぶき者は、誤解を恐れずにごく簡単に言えば、色鮮やかな着物を着た乱暴者のことであり、そのかぶき者の風俗を取り入れただけの「かぶき踊り」という踊りをやがて出雲阿国なる者が作り、さらにそれを起源にかなりの変貌の過程を経た結果演劇の歌舞伎ができただけらしいという事実を踏まえれば、そこには取材対象と取材者の関係がわずかにあるだけで、かぶき者そのものと、「かぶき踊り」のダンサーや「歌舞伎」という演劇のアクターは完全に別物のはずだ。ましてや、そういう縁すらない能楽といった話が出てくるのは、一体どういうことなのか。こんな滅茶苦茶な特化設定をするコーエーは、ある意味で、かぶき者以上に無法者であると思えなくもない。







に比べると短い文章で、例えば「殺陣」は語源的には「(演劇の)歌舞伎での立ち回り」のことだという説明などを文中でしていないので、今読むとより不親切な文章に思える。何が言いたいか伝わらないかもしれないという不安が、今はある。が、どうでもいい文章なので、もちろん直さない。

まして演舞という特化名についてはどこから来ているのかよくわからないので「かぶき踊り」からの連想か?という勝手な想像で「もしかぶき踊りなら、かぶき者が踊っていたわけじゃねーぞ!」という話を見切り発車的にしているだけなので、ツッコミとして見当違い甚だしい可能性は全く否定出来ない。つまり、若さ溢れる文章、というわけだ。

個人的には超懐かしい文章なのだが、ブログに載せるのは初なので、この筆者の抱いた懐かしさを共感してもらえる相手など当然地球上に1人も存在しないのであった。完。